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布おむつの話

家では基本的に布おむつな我が子です。生後1ヶ月からは、できる限りトイレに連れて行って用を足してもらうようになりました。いわゆる(というほど浸透している言葉かわかりませんが)「おむつなし育児」です。今回は、トイレで用を足し始めるようになる前の、布おむつの話をします。 私自身が布ナプキンを使っているからだと思いますが、布おむつは子どもが生まれる前から興味がありました。紙おむつと併用してみようと思い、つれあいを巻き込んで10枚輪型おむつを縫いました。すると知人が、いかにも私がやりそうだからと、布おむつのお古をたくさん譲ってくれました。図らずも十分な量を確保できてしまったので、布おむつだけでやってみようということになりました。こういうことへのこだわりが強いのは私の方で、つれあいは面倒がらずに付き合ってくれたという感じです。ちなみに、ネットで買えないものはない時代ですが、リアルで手に入れようとするとなかなかチョイスがなかったのがおむつカバーでした。 布おむつの良いところってなんだろうと考えたとき、濡れていなければ紙より肌触りがいいこと、濡れたことが本人にわかること、大量のゴミを出さずに済むこと、に私は引かれます。買い物の手間がないこと、経済的なことももちろんgoodです。反対に良くない点は水をたくさん使うことで、それに伴って水道代も上がります。言うまでもなく洗濯物の量が半端なく増えて、雨続きだと煩わしさ倍増です。 今の紙おむつって、おしっこをしてもほんっとにサラサラで吸収も良くて、長時間つける場合の快適さは布おむつと比べるまでもありません。便利です。ただ、その吸収の良さが私は怖い(感覚的に)。そして、濡れている時の心地の悪さを子どもが感じることがないのも、いいのやら疑問に思います。 とはいえ、上述したように洗濯物が段違いに増えます。量が増えるということは洗濯の回数も増えるし干す場所も必要になるということで、この辺の準備は完全に不十分でした(ちょっとやってみよう、な心持ちだったので)。病院から退院後、しばらく手伝いに来てくれていた母に「私がいなかったら無理だったね」と言われたのも無理はありません。 洗ってもきれいに落ちなくて挫折したという話も聞いていたので多少不安はありましたが、この点については、洗濯終わりで色残りがあっても、うんこだけにウコンと一緒で太陽...

おしっこを我慢しないこと

タイトルの話に行く前に、長い前置きがある。 5年くらい前から「自分を大切にすること」を軸に据えて生きようとしている。 それ以前は、自分を大切にするなんていう発想はほとんどなかったように思う。やりたいことをやれだとか、follow your passionだとかいうことを言われたりして、そういう意味では考えたこともあったけれど、もっと根本的なところでは考えたことがなかった。だから、そうしてこなかったことにもまったく気づいていなかった。 5年くらい前の私は、愛(尊敬の念とか真心とかに言い換えてもいいかもしれない)というものの偉大さに気づきつつありながら、今振り返って思えば、それは自分以外のもの・こと・ひとに限られていて、自分のことについては蔑ろにしていた。私は、こだわりが強くて曲げられない性質である一方で、あまり自発的な方ではなくて、人に求められることで自分の存在意義を感じてしまうようなところがある。だから外面だけは良くて、ストレスが溜まって、あとでイラついたり近しい人にあたるということも多かった。(今でも思い当たる。) 私が「自分を大切にすること」を意識するようになったのは、自分を許せなくなるようなことをしたからで、そのせいで自分が傷ついて、大切な人たちを傷つけてしまったからで、またその出来事の原因が、自分を大切にしてこなかったことにあったからだ。自分のしたことについて自分を責めたいのに、必要なのは自分を許すことだっていうのは、とても難しい。 でもそれからは、努めて、行動や考えの軸を自分に置くようにしているつもりだ。人といるとき、何かをするとき、相手に尽くすよりも、まず、自分が気持ちよく過ごせているか、それをしているときの自分自身が好きかどうか、そういう視点を忘れないようにしようと思っている。(ごく自然にそれができる人は素敵だ。) 早川ユミという人がいる。地に足をつけて生活することをとても大切にしている人で、彼女の本をめくると自分の生活のヒントになるようなことが書かれている。彼女の本に 『野生のおくりもの』(2017年) というのがあって、その中に田口ランディとの対談が収録されている。田口ランディは、生活クラブの「生活と自治」での連載を読んでいて、いつも、軽やかで素敵な文章を書く人だと思っていた。そして、この、早川ユミと田口ランディの対談が、とってもよかった。 この対...