おしっこを我慢しないこと

タイトルの話に行く前に、長い前置きがある。
5年くらい前から「自分を大切にすること」を軸に据えて生きようとしている。
それ以前は、自分を大切にするなんていう発想はほとんどなかったように思う。やりたいことをやれだとか、follow your passionだとかいうことを言われたりして、そういう意味では考えたこともあったけれど、もっと根本的なところでは考えたことがなかった。だから、そうしてこなかったことにもまったく気づいていなかった。
5年くらい前の私は、愛(尊敬の念とか真心とかに言い換えてもいいかもしれない)というものの偉大さに気づきつつありながら、今振り返って思えば、それは自分以外のもの・こと・ひとに限られていて、自分のことについては蔑ろにしていた。私は、こだわりが強くて曲げられない性質である一方で、あまり自発的な方ではなくて、人に求められることで自分の存在意義を感じてしまうようなところがある。だから外面だけは良くて、ストレスが溜まって、あとでイラついたり近しい人にあたるということも多かった。(今でも思い当たる。)
私が「自分を大切にすること」を意識するようになったのは、自分を許せなくなるようなことをしたからで、そのせいで自分が傷ついて、大切な人たちを傷つけてしまったからで、またその出来事の原因が、自分を大切にしてこなかったことにあったからだ。自分のしたことについて自分を責めたいのに、必要なのは自分を許すことだっていうのは、とても難しい。
でもそれからは、努めて、行動や考えの軸を自分に置くようにしているつもりだ。人といるとき、何かをするとき、相手に尽くすよりも、まず、自分が気持ちよく過ごせているか、それをしているときの自分自身が好きかどうか、そういう視点を忘れないようにしようと思っている。(ごく自然にそれができる人は素敵だ。)


早川ユミという人がいる。地に足をつけて生活することをとても大切にしている人で、彼女の本をめくると自分の生活のヒントになるようなことが書かれている。彼女の本に『野生のおくりもの』(2017年)というのがあって、その中に田口ランディとの対談が収録されている。田口ランディは、生活クラブの「生活と自治」での連載を読んでいて、いつも、軽やかで素敵な文章を書く人だと思っていた。そして、この、早川ユミと田口ランディの対談が、とってもよかった。
この対談の中に、自分を大切にするという話が出てくる。その具体例に、田口ランディが、「おしっこを我慢しないようにしている」ことを挙げていた。私はそれを読んではっとした。
思い当たる節はいろいろあるけれど、一番は、とある仕事先でのこと。果てしなく検品をする時期に手伝いに行っていて、勤務中に一度もおしっこに行かない日がふつうにある。もちろん誰に強いられているわけでもない。他の人が行かないわけでもない。私自身、仕事中にそんなに我慢している自覚もない。でも、自分の仕事が遅いと思って気が急いていたり、少しでも先に進めたい思いがあったり、あるいは頑張っている自分に悦に入っちゃっている表れなのだと思う。そこから1時間かけて家に帰るまでの間に、ようやく、おしっこを我慢していたことに気付いたりすることもしばしば。
私は、自分がおしっこを後回しにしてしまうことを知っていたのに、そのことをさして重大だとも思ってこなかった。でも、よく考えてみなくたって、おしっこを我慢する人が自分のことを大切に扱っているとは言い難い。田口ランディが、自分を大切にするっていう文脈でこの話をしてくれたことは、すごいことだと思う。

私には、自分を大切にするっていうことがどういうことなのか、まだまだわかっていないのだろう。でも、この一歩は大きい。我慢できることを我慢することは、褒められたことじゃない。心の声と体の声の両方を、蔑ろにしないでちゃんと聞く。それが自分を大切にすることで、私の大切な人たちを大切にする術なのだろう。一足飛びにできるようにはならないけど、慣らしていこう。

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