新幹線の授乳室から生きやすい社会について考える

大きなタイトルをつけてしまいました。授乳と縁のない人にも読んでもらえたらいいなあーとの願いを込めて。

新幹線に授乳室があることをご存じでしょうか。

JR東海〜JR九州を走るN700系。N700Aは、多目的室が空いているときに授乳室として使用させてもらうことができ、N700Sは、多目的室のほかにも授乳スペースとして使用できる小部屋が複数ある。

小さな赤ちゃんを連れ立って長時間の外出をするときは、車での移動でない限り、なんとなくでも授乳のやりくりを考えておかなければならない。といっても、私自身は、子どもがごく小さかった頃は授乳ケープひとつで、バスでも公園でも外食先でも、あまり気にせず授乳していた。電車も、特急などの前を向くタイプの車両であれば気にしない。

それが、子どもがほんの少し大きくなると、こちらのスタンスが変わらなくても事情が変わった。ケープをかけると視界が遮られるのをいやがり、かといって申し訳程度にケープをかけて視界を確保すると気が散ってしまっておっぱいを飲むことに集中できない。

そこにきて、新幹線の授乳室は願ったり叶ったり。長距離移動用の乗り物なだけあって、今どき完備してくれてるもんだなあと、時世を感じるとともに感心。ミニマルなスペースに必要なものが揃っている。ケープも必要ないし、気を散らすことなくおっぱいを飲んでもらえて、とても助かる。

だけど同時に疑問も湧く。これは結果的に、超少子化社会と、そんな時代に小さな子どもを持つ親に、いい影響をもたらすのか?

今回の授乳室のように、"それ"用のものができて便利になってしまうと、当事者も周りの人も、それがないときの耐性がどうしたってなくなる。そのうち、新幹線の座席で授乳するなんて非常識だ、と言われかねなくなるんじゃないか。

これはなかなか難しい話で、たとえば喫煙なんかについても同様の言い方ができる。今や喫煙可能な場所ではないところでタバコを吸っている人に遭遇しようものなら、思わず顔をしかめてしまう。私を含めた非喫煙者は確実に道ゆくタバコ吸いに不寛容になっているだろう。身体に害があるとかないとか、もちろんそういう観点から話をすることもできるけど、単純にそれだけを理由に一蹴してはいけない気がする。

自分が好きじゃないものに寛容になるって難しい。好きなものだけに囲まれて生きていけたらいいけど、社会的な人間として生きていくってことは、自分のきらいなものや不得手なものとも付き合っていくってことだ。

授乳のことに話を戻すと、赤ちゃんのことを考えれば、もちろん、外でも安心して、ゆっくりおっぱいなりミルクなりを飲める環境が用意できたら良い。でも、それができないときがあっても、ちゃんと適応してくれるだろう。ベストな環境を用意することよりも、飲ませたいときに、どこでも、ケープ1枚で飲ませることを受け入れてくれる社会がありがたいと思う。

棲み分けが進んでいくと、異質なものとコミュニケーションをはかる必要が減って、異質なものを受け入れる器量がなくなる。目に入らなくなると、存在しないような気になって、想像力も乏しくなる。便利さや快適さに慣れると、不便なことが不満になる。

あれ、どっちのほうがよかったんだっけ?

多様性を認め合うとか、みんなが生きやすい社会とかいうと、聞こえはいい。でもそんな現実ってあるんだろうか。目指すところは、みんなが少しずつ我慢すればいい社会で、それが、しわ寄せのない、みんなが生きていける社会なのだと思う。大地の再生の矢野さんが言っているのも、そんなことだった。私はそこを目指したい。

N700 supremeの授乳室
たしか鏡もありました

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